人生逆転を目指して!うつ病患者の執筆奮闘記

このブログはうつ病を抱えながらも、執筆を通して成長していくための奮闘を発信していくブログです。

私のうつ病の症状と病状の経緯(その3)

 

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どうも、つきみ(@saiou227)です。
私のうつ病体験その3です。前回は休職を決意したところでした。今回は辛かった療養生活メインに書きました。大体2009年7月~2010年7月の内容です

 

そして休職に

何度か上司との面談を繰り返し、


「うつ?そんな風に見えないんだけどなぁ」

と何度も言われました。

確かに世の中の鬱って「暗い」「死にそう」「病気的」「表情が無い」などの症状が見えている方も多いと思います。
ですが私は社会人だからという最後の糸で自分を奮いたたせ、病気に見えないように心がけていました。。
死ぬほどつらくても

「私は大丈夫ですー。ちゃんとした社会人ですー迷惑なんてかけませんよー」

というようないい子ちゃんを演じていたのです。

ただ、本当に体はボロボロで、精神的にも乗車率120%の満員電車に乗ることが苦痛で仕方ありませんでした。
仕事の重圧もありました。
そして主治医の診断書が決め手になり、私は無事休職することができました。

休職が始まった日。私は「あぁ…仕事行かなくていいだ」とほっとしたのを覚えています。

 

休職から半年くらいは月一で実家に帰りつつも一人暮しをしていました。
何をしていたのかは覚えていません。
ただ、借り上げ社宅だった狭く寒く暗い部屋で一人ベッドに寝て、自堕落な生活をしたような気がします。

休職前は、折角時間ができるからあんなこともしたい!こんなこともしたい!旅行に行きたい!など色々なことをしたいと思っていたのですが、いざ休職するとベッドから動けなくて、ひたすら寝ていました。

 

その当時の上司はうつ病の事があまりよく分かっていないのか、度々「ご飯食べよう!」とか「みんな心配しているからとりあえず会えないか?」とか「本当にうつ病なのか気になるから病院について行ったもいいか?」など言われました。
心配してくれる気持ちもありがたかったですが、正直会社の事は思い出したくないのでそっとしておいてほしかったです。が…まぁ、会社に勤めている以上はそうもいかなかったのかもしれません。

 

体調はというと休職後も全くと言って回復しませんでした。
一人で暮らしていたせいか、落ち込むことも多く、突然死にたくなって泣きながら「いのちの電話」」に電話を掛けたこともありました。
(ちなみにいのちの電話には何度も描けたことがあるのですが、混雑していて一度もつながったことはありません。もう少し改善されないものかなぁと思います。話を聞いてもらうだけでも気持ちが落ち着くこともあるし、自殺を思いとどまることもあると思います)

 

病名は自律神経失調症→仮面うつ病うつ病と変化しました。ここで初めて抗うつ剤の服用を本格的に始めました。
ちょっと昔の話(2009年くらい)なので何を飲んだかよく覚えていないのですが、

 ・アモキサン

 ・ソラナックス

 ・エペリゾン

 ・ドグマチール

 ・加味逍遙散(ツムラ

 ・ハルシオン

 ・デパス

あたりを飲んでいたような気がします。

 

ですが症状は一向によくならず、目がチカチカして日差しの下は歩けなくなりました。
また、体が常にふわふわして始終乗り物酔いをしている感覚でした。

 

漢方(漢方薬局の特別調合の物)、投薬、プラセンタ注射、カウンセリング。
いいと言われるものは全部やっていたので月の医療費が3万以上かかっていました。
安月給の身としてはかなり痛い出費ですが早く元の状態に戻りたい、戻れると信じて必死だったのを覚えています。

 

あれよあれよという間に半年の休職が過ぎそれでも頭痛、肩こり、吐き気、眩暈、精神的落ち込みが続き、出口のないトンネルにいるような感覚に何度も襲われ孤独の中治療を続けている感じでした。

 

引っ越しを決意

そして、冬が訪れようとした頃、あまりにも住環境が悪いので温かくてまともな生活が送れるように引っ越しを決意しました。

そう言う意味では半年して少し動けるようになったのかもしれません。
意を決して引っ越したところ、活動的になりました。
投薬についても漢方とプラセンタ治療をやめ、医師の面談と投薬に絞ることになりました。

この辺りで躁鬱が出てきました。
なんでもやれる!という調子のよい時期と、やっぱり無理だ…死にたい…という日が訪れましたが、それは病状が良くなっているのだと当時の私は思っていたからです。

 

現に活動的に動けると気があり、執筆活動やイラスト作成、ゲーム作成に、HP作成、当時はやっていたニコニコ生放送、ゲーム実況など色々活動していた時期でした。

特にニコ生はリハビリのつもりでやっていました。一日中誰とも話さない日常が辛くて気分転換でした。
自炊もできるようになり、間もなく復帰もできるかなぁと思ったりもしていました。

 

ですがそんなに簡単に事は進みません。今度はイライラすることが多くなり、うまくいかないことがあると怒鳴ったり、泣きたくなったり、フォークで自分の腕を刺したこともありました。
自傷行為をしたいと思うこともありましたが、そこはぐっとこらえて過ごしたことを今でも覚えています。

 

そして、ある日の事。2010年5月、急な腹痛に教われ七転八倒しました。病院に行っても原因は不明。大きな大学病院を紹介され言ったところ過敏性腸症候群ではないかと言われ、薬も処方されないまま返されました。

その時にはこの痛みがずっと続くのかと絶望し、泣いて泣いて泣きました。
とはいうものの午前中は腹痛に教われ起きれず1週間食事もせず寝たきりになりました。

 

そのときマンションの隣にあった公園からは子供たちの楽しい声を聞き。燦々と降り注ぐ街路樹の青々とした緑を苦しい中見つめていました。
「私…これからどうなるんだろう。一生こうして寝たきりになるのかなぁ」
絶望しかなかったです。

休職からあっという間に1年が過ぎ、とうとう主治医から
閉鎖病棟に入院した方がいいです」
と言われ、勝手に実家にまで電話されていました。

それを聞いた両親は寝耳に水だったようです。鬱なのは知っていましたがそんなに病状が悪いと思っていなかったようです。
両親の心配もあり、私は入院をすることにしました。

                                                                           続く…